ルカによる福音書10章33節~37節
「せかいのこどもはおともだち」
子どもの日(花の日)礼拝メッセージ
稲山聖修牧師
聖書の世界には今ものこる街の名前が多く記されています。新約聖書ではエルサレムという街の名前が一番有名かもしれません。イエスさまがおられたときには、この街は高いかべに囲まれていました。泉北ニュータウン教会の天井よりも高いかべです。かべは誰が作るのかといえば、おとなです。どのような考えで作るのかといえば、もともとは大事な家族や財産を守るためでしたが、そのうちかべの外側に暮らす人々を見下すようになってしまいました。かべに守られてくらすわたしたちはふつうの暮し、けれどもかべの外側で暮らす人々は話も通じない貧しい人々ばかり。だからかべの内側には入ってきてほしくない、というぐあいです。
今日は特別に先生のお婆ちゃんのお話をします。お婆ちゃんは今生きていたら100歳以上になりますが、80歳で天国に召されました。そのお婆ちゃんが小学生だったころのお話です。お婆ちゃんはこどものころ中国に住んでいたことがあって、通学路にある中国人のおじさんが作ったチェンピンという、今でいうクレープに黒蜜をかけたものを、ともだちと食べたくて仕方ありませんでした。けれどもお母さんから、中国の人が作った食べ物なんて食べたら病気になるからやめなさいと言われて何度も叱られたそうです。けれどもある日、こっそり貯めたお小遣いでともだちと、少し勇気を出してチェンピンを買って食べました。そのおいしいことといったら言葉にできないほどだったそうです。けれども先生が大学生のころに作ってみたら、実はそれほどおいしくはありませんでした。なぜだろうと考えたのですが、きっと「病気になるから食べてはいけません」という言いつけを破って、中国人のおじさんとお話をしながら食べたから、黒蜜味のチェンピンがとてもおいしかったのかな、と思ったものでした。こどもはおとなのかべをくずす天才です。
今日の聖書の箇所では、旅の途中で強盗に襲われ、お財布も身に着けていたもの全てをとられてしまった旅人のお話が書かれています。旅人はエルサレムからやってきた人のようです。けれども道行くエルサレムの祭司やレビ人といった偉い人たちは、道に倒れたままの旅人を助けるどころか、近寄ろうともしません。旅人がどの街から来た人なのか分からなかったからもしれませんね。その旅人を助けたのは、エルサレムに暮らす人々が「あの人たちとお話ししたり、おともだちになってはいけませんよ」と言っていた、サマリア人の旅人でした。エルサレムの人々は、サマリア人を見下していたのです。けれどもこのサマリア人は、道に倒れた旅人のけがを手当てするだけでなく、宿屋へ連れていってお医者さんに診てもらうだけのお金も渡していきました。実は今日のお話、イエスさまが「たいせつな人って誰のこと?」と質問した学者さんに答えたお話です。
今、世界では、高いかべで家族がばらばらに暮らさなければならなかったり、お互いに憎み合ったりするようなしくみをおとなが作って、大勢の人たちが苦しんだり悲しんだりしています。けれどもそんなかべは、こわれるに決まっています。こどもたちの力はおとなよりも強いのです。その力を、神さまはみなさんにプレゼントしてくださっています。こころのかべをイエス様に壊してもらって、学校や毎日の暮しの中で、世界中の人々とおともだちになれたら神さまもきっと喜びます。