2016年12月24日土曜日

2016年12月24日燭火礼拝「飼い葉桶をつつむ光」稲山聖修牧師

聖書箇所:ルカによる福音書2章8~20節

 クリスマス物語で描かれる羊飼いは法律の保護外に生きるアウトロー。この底辺に暮らす人々に現れたのは、主の天使である。しばしば天使は翼をもつ姿で描かれる。超越的な神の力がそこには示される。上からの光が羊飼いを照らす。神の希望と栄光の光、祝福の光。この光に包まれて恐れる他ない羊飼いに語りかける言葉は「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった」。それは「民全体に与えられる大きな喜び」として遍く告げ知らされる。格差の問題はクリスマス物語の中では現代以上に深刻であった。この格差を突き崩す大きな喜びが告げられる。天の大軍が示す人には及ばぬ神の力とともに。
 神の力は決して空想的な仕方で世に臨まない。人があらゆる鎧で身を固めていることを知っている。この武装を解除する神の力は、飼い葉桶に眠るメシアに相応しい姿に人を変える。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」との平和の宣言が響くのはそのためだ。
 天使たちが見えなくなった後、羊飼いにはそれまでには考えられもしなかった力を授かった。地主の柵の中で羊を飼うあり方から、誰にも赦しを乞うことなしに「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」という固い意志であり、決断だ。この力は御使ガブリエルがマリアに身籠りを伝えたその力と同一であるとも読み取れる。その力を伝えようとルカによる福音書は何の案内もなしに、文字の読み書きも出来ないはずの羊飼いたちが迅速にマリアとヨセフ、また飼葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てたと記す。底辺にいたからこそ、辛酸をなめたからこそ「民全体に与えられる大きな喜び」に実に正直に応えていく姿が描かれる。
幼子はやがて成長して語る。「貧しい人々は幸いである。神の国はあなたがたのものである。今飢えている人々は、幸いである。あなたがたは満たされる。今泣いている人々は幸いである。あなたがたは笑うようになる」。平和や温かさや癒しを求めていた人々は、自ら平和を築き、人々を暖め、癒す力を備えられる。羊飼いは今や幼子の誕生を照らす光を映し出す鏡として働くようになる。「羊飼い達は、見聞きしたことがすべて天使の話した通りだったので、神をあがめ、讃美しながら帰っていった」。クリスマスイヴの夜、私たちも同じ道を辿りたい。