ー聖霊降臨節第9主日礼拝 ー
時間:10時30分~
※コロナ禍対策により
しばらくの間会堂を用いずリモート中継礼拝・録画で在宅礼拝を執行します。
状況に変化があれば追って連絡網にてお伝えします。
説教=「悲しんでいるようで、常に喜ぶ」
稲山聖修牧師
聖書=『コリントの信徒への手紙Ⅱ』6 章 1~10 節
(新約聖書331頁).
讃美= 527(1.3.5),316(1.3.4),Ⅱ 171.
可能な方は讃美歌をご用意ください。ご用意できない方もお気持ちで讃美いたしましょう。
動画は2種類
(動画事前録画版、ライブ中継動画版)
ございます。
礼拝のライブ配信を致します。
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説教動画の方をご覧頂きます様、お願い致します。
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方法は、こちらのページをご覧ください。
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細長い半島が、ギリシア本土との間の海を挟み込むところに建てられた町。これがコリントという都市でした。陸の道と海の道の境目にあたる都市ということで、すでに紀元前1000年ごろにはギリシア人が住み始め、『新約聖書』でパウロが手紙を記した時代には三度目の繁栄期を迎えます。退役軍人、解放奴隷、ギリシア人、ローマ人、ユダヤ人が混在する多民族都市。商業都市として栄えただけでなく、陶器製造や金属加工の工業都市、文学・美術などの文化都市としても有名でした。「コリントへの道は万人のものではない」との諺がありました。これは「経済的に豊かでなければコリントへは行けない」ことを示しました。60万人も達したとされるこの都市の三分の二は奴隷であったと、パウロの旅路をたどった聖書学者・佐藤研は指摘します。
40万人の奴隷労働によって20万人の繁栄が支えられるという、現代の日本でも想像しがたい経済格差が事実上放置される中でパウロは伝道活動を進めてまいります。もちろん『新約聖書』はまだ文書としては整っておりません。ですから数々の混乱も生じます。その中にはパウロが一年半コリントに滞在した後に起きた「コリント問題」なるハプニングがあります。具体的にはパウロの後にコリントを訪れた使徒たちを自分たちのヒーローとして担ぎあげ、分派争いに陥っていく問題です。これは『コリントの信徒への手紙Ⅰ』の冒頭に記される主題として問われ、今日のわたしたちにも身につまされる課題となります。そしてその次に生じたのは、コリント訪問の後に、パウロが一時囚われの身となった数年の間、全く異なるユダヤ教色の濃厚なキリスト者が流れ込み、教会を攪乱していきます。どうすればよいのかと、途方に暮れる人々の混乱が、奇跡的にパウロに縁あるテトスによって収拾されていきます。『コリントの信徒への手紙Ⅱ』は、こうして1~7章までが「慰めの文書」、10~13章までが「涙の文書」と呼ばれる文面で構成されていきます。このように使徒パウロによる手紙は、初代教会が抱えるところの、わたしたちの用いる「もめごと」という言葉では、決して語り尽くせない人間の混乱の中から絞り出され、神の愛によって授けられてまいりました。
ですから2節の「今や、恵みの時、今こそ、救いの日」とある、かつてわたしたちの教会の標語にもなった言葉は、実のところパウロ、そしてパウロの連なる教会の戸惑いと不可分になっています。イエス・キリストに根を下ろす態度よりも虚しい風説によって教会が混乱する事態。おそらく教会には大都市コリントの三分の二を占める、様々な職種に従事する奴隷もいたことでしょう。よくあるのが、種々の手紙を読む限りパウロは都市志向が強く農村漁村への伝道への意欲がない、との指摘があるのですが、そもそも現代よりも遙かに人の数の少ない時代に数々の情報だけでなく数多の社会矛盾が凝縮される場であるところの都市で伝道に励むわざは一つの道として疎かにはできません。パウロがコリント訪問とその後のコリント問題に寄せた手紙には、大いなる忍耐をもって、苦難、欠乏、行き詰まり、鞭打ち、監禁、暴動、労苦、不眠、飢餓において、奉仕の務めが非難されないように、どんなことにも人に罪の機会を与えず、あらゆる場合に神に仕える者としてその実を示そうとの決意がにじみ出ています。これらの苦しみはみなその時代の奴隷が味わった苦しみであり、イエス・キリストの苦しみ。いわばその時代に栄華を極めたコリントの町の裏街道に暮らす人々の苦しみです。パウロはコリントの町の裏通りの中にこそ、イエス・キリストが示した神のわざが及んでいると明言します。「わたしたちは人を欺いているようでいて誠実であり」、おそらくはそのような噂も立ったのでしょう。「人に知られないようでいて、よく知られ」、「死にかかっているようで、このように生きており」、「罰せられているようで、殺されてはおらず」、「悲しんでいるようで、常に喜び」、「物乞いのようで、多くの人を富ませ」、「無一文のようで、すべてのものを所有しています」と語ります。これは単にその時代の奴隷の苦しみに留まらず、神の恵みに活かされる人パウロが伝道のわざの中で、苦しみや疲労や行き詰まりを知っており、悲しみも貧しさも知っていたことを示しています。たとえ自分が愚かに見えたとしても、いや、そのようなときにこそ神は新しい道と力と伸び代を備えてくださるとの確信が、イエス・キリストに根ざす日々の中で培われてまいります。「あれができた」「これができた」という言葉は他者への慢心ではなく、神への感謝と喜びとして、この手紙には編まれています。主なる神は全てをご覧になっておられます。先週わたしたちは、目を開かれた盲人が人の姿が見えるようになり喜ぶ一方で、イエス・キリストは人の世の闇を見抜いていたらこそ「この村に入ってはいけない」と自ら癒した人に諭されたという福音書のメッセージを分かちあいました。その根底には、主なる神は全てをご存じであるという、実にシンプルなパウロの確信も寄せられています。わたしたちはこの一週間、どのように過ごすのでしょうか。後から考えれば実に虚しい風説に翻弄され、また同時に、新型コロナウイルス第七波が本格化して苦しむ方々とともにあゆむ中で、一日僅かな時でもよいから日々の暮らしの中で『聖書』に沈潜し、たとえ無理解の中に佇もうとも、神の愛に満ちた智恵を授かり、その証しを少しでも立てていきたいと願っています。