ルカによる福音書23章6~23節
説教:稲山聖修牧師
棕櫚の主日礼拝は受難週の始まり。キリストの受難の道にあって明らかになったのは、イエス・キリストと「たまたまそこに居合わせた」どころか、キリスト自らの招きを通して弟子の列に連なった人々が、その道行きの中で一人、またひとりと姿を消していった事実だ。イエス・キリストとの関わり、そしてイエス・キリストが指し示す隣人との関わりの中での当事者たること。これは逃れようとするほど「あなたはどこにいるのか」と追いかけてくる問いとなる。
では弟子とは異なるところでイエス・キリストとたまたま出くわすこととなった人々は、どのような振る舞いに及んだのか。まずはローマ帝国の総督ポンテオ・ピラト。イエス・キリストの身柄を拘束した祭司長は、エルサレムの最高法院を用いて何としてでも有罪判決を出そうとする。しかしその追求が過酷さを極めるほど、この裁判の支離滅裂さが露わになる。キリストの裁判は夜に行われたが、この時間帯は本来裁判を行う時間ではない。詮議の内容も証言がまちまちで、誰もキリストを罪ある者として裁けなかった。このゆえにキリストの命を奪おうとする者は、次はローマ帝国の代表でもあるピラトのもとに、あたかもたらい回しをするかのようにキリストを送る。ピラトは祭司長、そして煽られた群衆に「わたしはこの男に何の罪も見出せない」と言うほかない。煽られた群衆は「この男は、ガリラヤから初めてこの都にいたるまで、ユダヤ全土で教えながら、民衆を扇動している」と根も葉もないことを言うほかには何も出来ない。そこでピラトはイエスがガリラヤ出身であることを確かめ、その地方を治めていた領主ヘロデに、これまた、たらい回しをするかのようにキリストを送る。
それではガリラヤの領主ヘロデの振る舞いとは。領主ヘロデは、クリスマス物語に登場するヘロデ大王の息子であると言われる。ピラトとは異なり、領主ヘロデはイエスを見ると「非常に喜んだ」とある。その理由は二つ。第一には「イエスのうわさを聞いて、ずっと以前から会いたいと思っていた」こと、第二には「何かしるしを見たいと望んでいた」ということ。この箇所に、領主ヘロデの「救い主への歪んだ関心」を窺い知ることができる。例えばヘロデの家で使用人の監督にあたっていた人物の伴侶ヨハナは、自分の財産を持ちだしてまでイエス・キリストと弟子たちに奉仕していたとの記事が『ルカによる福音書』にはある。またヘロデ自身もイエスとその弟子たちの働きについて聞き「ヨハネならわたしが首を刎ねた。一体、何者だろう、耳に入ってくるこんなうわさの主は」と言いながら、イエスに会ってみたいと思った、と記される。ヘロデは、自分の思いつきとは別の動機でイエス・キリストに会いたいと考えていたようだ。なぜならキリストの噂は、すでにヘロデの家中にも、また家族にも響き渡っていたと思われるからだ。語る者のいのちを奪ったところで、決して消すことのできない神の言葉の力を、ヘロデは感じ取っていたことではあろう。しかし領主ヘロデは、イエス・キリストに全てを献げて従うには、あまりにもこの世の力という鎖に支配され、身動きがとれなくなっていた。イエス・キリストはヘロデからの問いかけに一切応じない。むしろ響き渡るのは殺害を目論む祭司長や律法学者のイエスへの訴えだ。ヘロデにはこの世の権力に身を阿ねた人々の言葉が心地よく、反対に沈黙するイエス・キリストの眼差しに堪えられない。「ヘロデも自分の兵士たちと一緒にイエスをあざけり、侮辱したあげく、派手な衣を着せてピラトに送り返した」。ヘロデの目からすれば、イエス・キリストとの出会いは期待外れに終わった。むしろ口を開かず、なすがままの無力な者として立ち尽くす救い主がそこに立っていたのであり、洗礼者ヨハネのように諫めの言葉を激烈に語るという姿はなかった。しかしイエス・キリストをたらい回しにした人々は気づいていなかった。このたらい回しによって、福音書に描かれたところの、キリストの殺害を目論む者全てが、イエス・キリストの救いの出来事の逃れようのない当事者となったことに、である。キリストの十字架と復活の出来事を前にして、わたしたちはこの出来事の当事者とならずにはおれない。この当事者である事実からは逃れられないと胸に刻み、その喜びの中で、主の復活を待ち望みたいと願う。