2017年6月11日日曜日

2017年6月11日 こどもの日(花の日)礼拝「どんなときでも」稲山聖修牧師

聖書箇所:マルコによる福音書5章38~41節.稲山聖修
 
 今日のお話の題は、この後歌う讃美歌の題と重なります。この讃美歌の歌詞を作ったのは高橋順子さんです。今から58年前に生まれて、ちょうど50年前に神さまのもとに逝かれました。7歳と聞きましたから、保育園を卒園して小学校に入学したころに神さまのもとに召されたこととなります。大人の目から見れば短い一生だったと可哀想になるかもしれませんが、順子さんが7年間を一生懸命生き抜いたことを考えれば可哀想などと簡単にはいえません。全国の教会には教会学校や日曜学校といった集まりがあります。順子さんは福島市・福島新町教会の教会こども会に出席していました。元気なお友だちだったそうですが、ある日大きな病気に罹っていることが分かりました。骨の癌。今の時代では治せない病気ではなくなりつつありますが、今から50年前では治療といえば悪くなったところを骨ごと切りとるほかありません。手にできれば手を失い、足にできれば足を失うという病気です。手術の日が近くなったとき、順子さんは強い痛みと恐怖の中で必死に祈り、その祈りを詩にしていきました。それが「どんなときでも」という讃美歌になり、順子さんが神さまのもとに旅立たれた後も、入院したり、病気になったりして悲しい思いをしているお友だちを励ましています。
 今日の聖書の箇所では、病気で死にそうだ、といわれていた女の子を助けにイエス様がお弟子さんと一緒に旅をしたというお話が記されます。イエス様はわたしたち一人ひとりを大切にしてくださいます。けれども、実際に女の子のおうちについてみたら、大人たちは泣きわめいています。大騒ぎです。「女の子が死んでしまった」「もうおしまいだ」と嘆くばかりです。そんな中で、イエス様は「あなたがたはどうして騒いでいるのか。この女の子は眠っているだけだ」といって、「さあ、起きてごらんなさい」、いや、イエス様は地域の言葉を用いましたから「起きや」と、女の子の手をとって語りかけました。周りの大人はだめだ、だめだと騒いでばかりでしたが、イエス様は最後まで神さまとともにいました。女の子は立ちあがったのです。
 このように、こどもたちの病気を治しながら旅したイエス様でしたが、女の子のいのちと引き換えになるかのように、イエス様は十字架におかかりになって殺されてしまいました。骨の癌は身体の奥からの痛みで苦しくて仕方がないと申しますが、十字架の苦しみはそれ以上の痛みです。誰も助けようとはしてくれないからです。けれども十字架で死んでしまった後、イエス様が大好きだった人たちの間に、イエス様が甦った、復活したというお話が広まりました。聖書には、お墓の中から出てきたイエス様が初めてあった人に挨拶する様子が記されています。「おはよう」って挨拶してくださるのです。そしてイエス様を失って悲しんでいた人々を40日にわたって慰め、励ました後に、天に昇られました。今度は弟子たちの番。弟子たちに神さまの力がそそがれて、イエス様を慕う人々を集めて教会をつくり、今日まで続いているのです。
 今日は順子さんの作った讃美歌を歌った後、風船で遊びます。稲山先生はこの遊びがとても好きです。高校生だったころ、病院で風船を使って遊んだことを思い出すからです。世界にはつらい思いや苦しい思いをしているお友だちは少なくありません。けれども風船が空高く飛んでお友だちのところに届くように、私たちのつながりもいろいろなお友だちにつながって苦しみや悲しみを分け合い、喜びや楽しみに変えていくことができます。神さまの愛は、私たちにそんな素敵な力を備えてくださるのです。私たちの見えないところにいるお友だちのために祈りましょう。