2017年6月4日日曜日

2017年06月04日「愛の炎に照らされた道」稲山聖修牧師

聖書箇所:使徒言行録28章11~16節

 使徒言行録での「聖霊に満たされる」「聖霊の慰めを受ける」「聖霊が降る」「聖霊が告げる」「聖霊に送り出される」との記事は全部で10箇所。「聖霊が降る」と記されるのは10章44節と19章6節しかない。この表記からは、聖霊降臨の出来事は再現不可能な仕方で生じることが分る。意外にも使徒言行録の書き手はエルサレムの教会を拠点とするペトロを軸とした使徒への聖霊の働きを強調する。パウロその人のわざに聖霊が降るのは一度だけだ。他方パウロの歩みに際して多く用いられるのは、「私たち」という匿名かつ一人称複数の言葉。使徒言行録の書き手たちの、パウロを孤独にせずにともに行くべきだったとの深い負い目が伝わる。
伝道にあたってパウロに映った世界はどのようなものだったのか。使徒となる前、パウロはサウロと名乗り、別の使徒ステファノの処刑に賛成した。彼は熱心な教会の迫害者であった。しかし同時に迫害を受けた者からの申し開きからイエス・キリストの言動を聞かざるを得なかっただろう。迫害を受ける者の表情はステファノと同じく輝きながら縄に繋がれエルサレムに連行されていく。その場に立ち合う中、サウロは復活したイエス・キリストに出会う。即ち「サウル、サウル、なぜ私を迫害するのか」と呼びかける声とともに響く「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる」との声。パウロには主イエスとの出会いは復活のキリストとの出会いから始まる。そこに画期的な特徴がある。ペトロを始めとしたエルサレムの使徒の歩みは真の人ナザレのイエスへの負い目から始まる。復活の光の中から十字架のキリストに思いを馳せるパウロとはスタート時点が異なるのだ。
 本日の聖書の箇所では、護送の船旅の果てに立ち寄ったマルタ島でパウロが三ヶ月滞在したことが記される。三ヶ月という時間は護送する役人達にも護送される囚人達にも実に長い期間であり、この間にパウロに関する伝承が生まれてもおかしくはないとの指摘もある。逆に言えばこの期間にパウロにはこれまでの信仰の旅路を振り返る、時間が期せずして授けられたとしてもおかしくはない。越冬の後には、船旅の守り神とされたディオスクロイを船首に掲げた船に乗り込み、イタリア沖のシシリア島のシラクサを経て、イタリア半島の南にあるレギオンに寄港、翌日さらに北上し、プテオリに到着する。プテオリはこの時代のローマにとっては最重要の港湾都市であり、エジプトの穀物の荷揚げ港。この地にはすでに信仰の兄弟たちがいてパウロは七日間留まったという。すでに兄弟たちが来ていたということは、ローマの教会にすでに知らせが伝わっていたことを示す。迎えは二つの群れからなり、ローマから64キロ離れていたアピイフォルムと、49キロ離れていたトレスタベルネから遣わされた人々。この箇所からパウロの生涯最後のとりくみであるローマへの伝道の旅が始まる。
 使徒言行録によればパウロの歩みは決して主流ではなく傍流だった。けれどもパウロの働きなしには、イエス・キリストの歩みは世界に広まらなかった。異邦人である私たちにも伝わらなかっただろう。パウロの建てた教会は「変わった教会」との声をエルサレムの主流派の教会から受け続けた。道なき道を行くキリストの道の開拓者の姿がそこにある。神の愛の炎に照らされた新しい道を開拓するなら誹りや孤独を恐れてはならない。必ずその人を支える人が集うはずだ。神の愛なる恵みを基とする、聖霊降臨の出来事が私たちを深く包んでくださるから。