聖書箇所:コリントの信徒への手紙二.12章9節
ほんの数秒間の出来事とともに、人生の全てが変わり果ててしまう。本日の合唱で歌われた曲の詩を作られた星野富弘さん。24歳、群馬県・高崎市立の中学に体育教師として着任して二ヶ月後、体操部の模範演技中の事故で頸椎を損傷し、肩から下の機能を失ってしまう。1970年、高度経済成長期にあたる昭和45年のこと。急速に経済発展を遂げる社会の中で、人は「役に立つか、役立たぬか」とのふるいにかけられる。そして経済成長に貢献できない者は片隅に追いやられていく。身体に障害を負った方には、その意味で自らを受け入れるのがまことに困難な時代であったはずだ。星野さんは9年間におよぶ入院生活の間に、口にくわえた筆で水彩画、ペン画を描き始め、後に詩を加え、退院後は「花の詩歌集」として数々の作品を創作されるにいたった。それは、時代のあり方を憂うる人を軸に深い共感の輪を広げていった。
星野さんの詩には「暗く長い土の中の時代にあった。いのちがけで芽生えた時もあった。しかし草は、そういった昔をひとことも語らず、もっとも美しい今だけを見せている」とのごく短い作品もある。実に短い詩、アフォリズムにも似た詩でありながら、その言葉は期せずして今の時代の現実をも浮き彫りにしながら、涙に暮れる人々を力強く励ます。暗く長い土の中の時代。それはどのような時代だったろうか。いのちがけで芽生えた時、それはどんな瞬間だったろうか。その果てに記されるのは、花ではなく草。
世に草莽という言葉がある。有名な、鮮やかに花咲かせる人々ではなく、無名ながらも社会を根底から支えてきた人々を「草莽」と称する。「草は、そういった昔をひとことも語らず、もっとも美しい今だけを見せている」。春の嵐の過ぎた朝。アスファルトを突き破って咲くたんぽぽの力。人の抑圧を突き破る神の愛の力をそこに観た詩人。「わたしの恵みはあなたに充分だ。力は弱さの中で十分に発揮されるのだ」とパウロは語る。今朝は早春音楽伝道礼拝。病床で聖書に触れた星野富弘さんを思い出しつつ、礼拝をともにしたい。春の雨ととともに、大地に深く根を下ろす草のような力を注いでくださる主なる神に、これからの一週間を委ね、いのちの勝利を確信しながら苦難の道を恐れなかった主イエスの十字架を仰ぐ者として。