2025年10月11日土曜日

2025年 10月12日(日) 礼拝 説教

   ―聖霊降臨節第19主日礼拝―

――神学校日礼拝――

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

  

説教=「汗水流して働く者はみな仲間」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』20 章1~16 節
(新約38頁) 

讃美= 21-521(344),504,21-27.
可能な方は讃美歌をご用意ください。ご用意できない方もお気持ちで讃美いたしましょう。

動画は2種類
(動画事前録画版、ライブ中継動画版)
ございます。

説教動画「こちら」←をクリック、
又はタップしてください。

礼拝当日、10時30分より
礼拝のライブ配信
を致します。

ライブ中継のリンクは、
「こちら」←をクリック、
又はタップしてください。
なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、お願い致します。

「制限付きモードが有効になっているため再生できません」という旨の表示が出た場合は、YouTubeの制限付きモードを解除してください。
方法は、こちらのページをご覧ください。

【説教要旨】
 21世紀も四半世紀を過ぎた現在の就労環境は20世紀とは大きく異なり、社員一人ひとりの机は大抵がブースで仕切られています。会議をする場合には相応の部屋へ移動いたしますが通常は目の前にPCがあり、入社時に出勤を記録するタブレットを押して担当の机に座ります。職場環境はほぼ無音で隣に座る人との会話さえメールで行われます。その理由はハラスメント防止で、直接会話をすることすら憚れるところもあるそうです。会社勤務の人々が時に心を深く病むという場合、背景としてそのような設定もあるのかと考えます。

 さてさような状況とは逆に、本日の聖書箇所で描かれますのは汗を流して働くぶどう園の労働者の物語です。現在のような電算処理化などされておりませんから、本日の譬え話で描かれた世界には様々な臭いが立ちこめています。町行く人々の声、砂を巻きあげる風。乾燥した空気。照りつける太陽。描かれるのは正規雇用の人々ではなく日雇いの労働者です。「ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出ていった。主人は一日1デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った」。まず注目するのはぶどう園の経営者自ら労働者を集めるためにその場に出かけていく場面です。学生時分に釜ヶ崎に暮らしたわたしには、労働者を集めるのは手配師と呼ばれる人の役目であり、経営者自らがその場に赴くなどとは考えられません。その意味でも譬え話に登場するぶどう園の経営者は不思議な人物です。この経営者は9時ごろにも人々がたむろする広場にやってきます。この時間に広場に立っている人はその日の仕事にあぶれたといってよい者です。この人たちに経営者は「あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう」と呼びかけます。これが正午と午後3時、そして午後5時と続きます。職を得られず「立ちんぼ」するしかない労働者に経営者が尋ねると「誰もやとってくれないのです」との呻きにも似た声をあげます。午後5時の労働者は完全に世の中から見捨てられた様子が分かります。

 しかしながらぶどう園の労働は決して楽ではありません。ぶどうがたわわに実る環境とは適度に乾燥しなおかつ日当たりの良い場所でなくてはなりません。存分に蔓が伸びるためには広大な土地が必要で、収穫物はぶどうの実だけでなく食用に適う葉、細工物に使用する蔓など見極める必要があります。雑草抜きや畝作りもあります。そのような農場に大した計画性もなく連れてこられるのが本日の日雇い労働者です。確かに夜明けに連れてこられた働き手は懸命に働いたことでしょう。ひょっとしたら次から次へと労働者をスカウトしたのは、過酷な農場での働きにローテーションを加えるためだったのかもしれません。しかしその憶測は一人の労働者の言葉によって打ち破られます。則ち「最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは」との不平です。しかしこの一風変わった経営者は次のように答えます。「友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと1デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか」。このように答えるとは、あまりにも不思議です。この箇所をして「ベーシック・インカム」の雛形だと捉える人もおられますが、わたしはもう一歩立入って考えてみたいところがあります。それはこのぶどう園の経営者の真意とは、働いた成果に関心を寄せていたのではなく、この働きに関わる人の存在そのものが、それが誰であろうと、どのような特性をもっていようとも1デナリオンの値打ちを備えていたのではないかとの考えです。

 私事で恐縮ですが、わたしは15年余り前に天に召された母親を想い起こします。何度か申しあげましたが、母は1942年に現在の長春で生まれています。引揚げて後に結核性のカリエスを患いました。下に三人の弟たちがおりましたが、母の嫁いだ先は養鶏場。決して安定した職場ではなく、終には自宅を売り払って実家に移るという次第でした。しかし母が祖母の世話を献身的にしている間、経済的に苦しんだという経験は一度もありませんでしたし、そのような姿を見せることはありませんでした。弱さを抱える母とわたしたちを母方の兄弟が養っていたのです。しかし祖母が召され、母もわたしの実弟の弟とともに沖縄へ転居しましたところ状況は一変し、仲が良かったはずの母の兄弟は相続をめぐって争い、兄は61歳、次兄は58歳で召されました。表向きには役には立たない母のもつ弱さが家族を結びつける鍵となってはいなかったか。1デナリオンの重さを考える朝です。