2020年4月30日木曜日

2020年5月3日(日) メッセージ(自宅・在宅礼拝用です。礼拝堂での礼拝は休止します。)

「他の人に帯を締められて行く道」
『ヨハネによる福音書』21章15~19節
メッセージ:稲山聖修牧師


コロナウィルス感染症が世界を動かす前、人々の間でもてはやされたのが「自分探し」という言葉。高度経済成長の中にあっては、儲ける者がいれば必ず損をする者がいます。お金を貸す者がいれば借りる者が必ずいます。成功する者がいれば必ず失敗する者がいます。喜ぶ者がいれば悲しむ者が必ずいます。いつしか人と人との間の信頼関係がもろくなり、深く心を蝕む中で「本当の自分とは何か」との問いが生じ、ある時期においては時代を象徴さえしました。

けれども実際のところ「自分とは何者なのか」という問いかけをどれほど発してところで、正しくかつ相応しい答えと申しますのは見つかりません。なぜならば人は神様がお造りになった関係性の中で活かされているのであって、それ以外の何者でもないからであります。分かりやすい例を用いれば、これはわたしたちの名前にも言えるかと思います。職務上要請されるペンネームはさておき、わたしたちの名前はわたしたち自らがつけたものではありません。概ね誰かに名づけていただいた他称が自称として通じるのであります。そこには「自分探し」の立ち入る余地はありません。むしろわれを忘れて何かに打ち込んだり、汗を流したりする中で、喜びや悲しみを分ちあうという連帯が生まれ、感謝とともに名が贈られてまいります。
 本日の聖書の箇所は『ヨハネによる福音書』でもよく知られる、復活のキリストが再びペトロを召し出すという場面です。鶏の鳴く前に三度キリストを否んだペトロに対して、イエス・キリストは問いかけます。「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と問う言葉。「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存知です」と言うと、イエスは「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた、とあります。再びキリストが同じ問いをペトロに投げかけたとき、ペトロは同じ答えを返しますが、キリストは「わたしの羊の世話をしなさい」とお命じになります。そして最後にイエスが同じ問いかけをした時に、ペトロは「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます」。キリストは「わたしの羊を飼いなさい。はっきり言っておく。あなたは若いときには、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる」。この問答はさまざまな解釈ができるのですが、キリストが「わたしを愛しているか」と問うときには神の愛を示すアガペー、ペトロが用いる「愛」には人のわざとして、友情や思いやりといった友情を示すフィリアという言葉が用いられています。その意味ではペトロの愛には絶えず破れがつきまとっています。けれども、キリストとの関わりの中におかれたとき、ペトロには「キリストの小羊を飼う」、「キリストの羊の世話をする」、「キリストの羊を飼う」という使命が委託されてまいります。この箇所の筆が鋭いのは「若いときには自分で帯を締めて行きたいところへ行っていたが、年をとると他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れていかれる」とあるところです。「帯」とは、聖書では人が神以外の何にも頼らず泰然とし、堂々と歩みを興すときに用いられる言葉ですが、キリストに従う者の「若い時」と「齢を重ねた時」とのあり方の違いがはっきりと示され、齢を重ねた者は、たとえ自分の思惑通りではない仕方であったとしてもキリストに従い「キリストの小羊を飼い」、「キリストの羊の世話をし」、「キリストの羊を飼う」わざが赦されている、というのです。それは本人の自己実現とは全く異なるものだと描かれているところに惹かれます。
感染症に伴う非常事態宣言が長引く中、多くの方々が想定もできなかった苦しみと葛藤の中に置かれています。とりわけ今朝思い起すのが、誰も訪ねられなくなったご高齢の方々の施設や、優先順位として感染症の治療や感染防止に重きが置かれた結果、病床にあってお見舞いやねぎらいさえ赦されなくなった方々です。「独りである」ことの辛さや寂しさを誰よりも感じられていることでしょう。しかしその中でこそ、イエス・キリストから委託された尊いお役目があります。それは神に全てを吐き出して祈り続けるというあり方です。キリストはその声を必ず聞いてくださいます。そしてその声は同時にキリストを通して、教会に連らなる人々に届いています。

2020年4月24日金曜日

2020年4月26日(日) メッセージ(自宅・在宅礼拝用︰礼拝堂での礼拝は休止します)

「破れなかった漁師の網」
『ヨハネによる福音書』21章1~14節
メッセージ:稲山聖修牧師

 主イエス・キリストが群衆の中に分け入り、救いのわざを行なった物語の主要な舞台となる場所。それが「ガリラヤ湖」と呼ばれる湖の湖畔だとわたしたちは知っています。富士山が静岡県側と山梨県側からの展望とはその姿の構図の変わるのと似てはいますが、福音書では湖の岸辺にあたるところの地名からゲネサレト湖と呼ばれる場合もあります。とはいえそれは地域の土地柄に由来する名前であって、地域の住民には違和感なく受け入れられていたことでしょう。旧約聖書では「竪琴」を意味する「キネレト」の湖とも呼ばれておりました。琵琶湖の名の由来にも似ているところであります。
 しかし今朝、復活のキリストが姿を現わす湖の名前は「ティベリアス湖」と呼ばれています。イエス・キリストが地上での働きを全うした時代のローマ皇帝ティベリウスに因む名前ですが、『ヨハネによる福音書』では実によく用いられています。ただし、地名が代々継がれてきたものと為政者によるものとでは全く意味が変わります。地域住民の生活基盤となる湖の名に手を加えられて支配者の名前へと変更される。これはその地域に暮らす人々の歴史の抹消であり、それだけの力があるのだという支配者の権力の誇示でもあります。『ヨハネによる福音書』の成立した背後には、人々の痛みに満ちた暮しの変容がありました。単なる生活様式の転換だけではなく、大切にされてきた倣いが、多くの犠牲のもとで無残にも踏みにじられるという事情がありました。



 そのただ中で弟子はイエスと出会う前の日常を取り戻そうとします。時の流れは戻りません。それでも弟子はその出会いを忘れようとしているのか、なかったことにしたいのか。少なくともシモン・ペトロには、キリストの復活の知らせがマグダラのマリアを通して届いていたであろうにも拘らず、であります。とくに21章冒頭では、七人の弟子の名前がはっきり記される者もいます。キリストのいないまま弟子は夜半に漁に出て行きますが、その働きは決して首尾がよかったとは申せません。夜明けのころに、舟から弟子は食べ物を求める人影を見ます。その人は不首尾に喘ぐ弟子にアドバイスをします。その結果、漁師は豊かな働きの成果を見るとともに、その導きの声で弟子はその人影がイエス・キリストであると気づくのです。仕事の最中、シモン・ペトロは裸であったと物語は記します。無防備な姿のペトロは湖に飛び込むという混乱ぶり。漁師の業務は他の弟子が引受けます。
それだけではありません。「何か食べる者があるか」と湖畔から呼ばわっていたキリストは自ら炭火を起こし、魚をのせ、パンをそこで焼いていました。漁師たちの日々の暮しがそこにあり、キリストが大勢の群衆と分かち合った豊かさがそこにあります。多くの収穫があったのに「網は破れていなかった」と書き手は記します。「網は破れそうになった」と記す『ルカによる福音書』の漁の物語とは異彩を放つ弟子のネットワークが暗示されています。「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と何の変哲もない、しかしいのちの希望にあふれた一日が始まろうとしています。三度キリストを否んだペトロを含めた弟子の前にキリストは姿を三度姿を現わし、新しい日常を取り戻してくださるのです。 
わたしたちは決定的な治療方法の見出せないウィルスに脅かされるだけでなく、ウィルス流行以前の日常に戻れない苛立ちや暮しの中で心身を損なう人々を知っています。不必要に思えるほどの情報の洪水により、本当に苦しむ人の姿は表には出ません。その表に出ない人々とともに魚とパンを分かち合う、復活のイエス・キリストがともにおられると目覚めるならば、このつかみどころの無い不安が決して永遠には続かないと気づきます。確かに時の流れは戻りません。しかしわたしたちの置かれた「実にしんどい状況」も決して長続きはいたしません。だからわたしたちは、不安を煽るばかりの裏づけのない言葉から自由になれます。静けさの中で祈り、神さまとの関わりを深められます。新型コロナウィルスの流行に必ずしも由来しない、むしろその流行によって白日の下にさらされた、もともとあった社会の混乱の中で苦しみに堪える人々にも思いを寄せます。明け初めていく朝日の中、イエス・キリストととともに多くの人々との食卓を囲む時を、わたしたちは待つことができます。漁師の放った網は決して破れませんでした。何も恐れる必要のない、新たにされた交わりの訪れを待ち望みましょう。

2020年4月16日木曜日

2020年4月19日(日) メッセージ(自宅・在宅礼拝用です。礼拝堂での礼拝は休止します。)

「見ないで信じる者は幸い」
『ヨハネによる福音書』20章24~31節
メッセージ:稲山聖修牧師
 今朝の箇所は、復活したイエス・キリストと弟子トマスとの再会の場面。1954年度版讃美歌243番には「ああ主のひとみ、まなざしよ。うたがい惑うトマスにも、御傷しめして『信ぜよ』と、らすは誰ぞ主ならずや」と歌われており、わたしたちの日々の暮しにも溶け込んでいる場面のひとつではないでしょうか。人々の不信仰と神の招きをともに歌った讃美歌ですが、聖書のトマスの立ち振る舞いを探りますと、単純に「不信仰」であるとは決めつけられない一面があると分かります。『ヨハネによる福音書』ではマルタとマリアの兄弟として描かれるラザロの里でもあるベタニアの村は、イエス・キリストとその弟子には牧歌的であるどころか、石打刑で殺害されそうになった危険な場所でした。姉妹からの使者の言葉に従ってイエス・キリストがその村に赴くにあたり、弟子の間には少なからず動揺が走ります。ある者は尻込みし、ある者は身に迫る恐怖を訴えます。その中でトマスは仲間の弟子たちに「わたしたちも行って、ともに死のうではないか」との決意を露わにいたします。この呼びかけはキリストにではなく仲間へと向けられています。ですから決して、他の弟子をさしおいてのイエス・キリストに対する自己アピールではありません。それでは「ともに死のうではないか」との言葉は「誰とともに」であったのでしょうか。その「誰か」がイエス・キリストであるのは明らかです。トマスはそれだけの覚悟なり決心のあった弟子の一人でした。その様子が『ヨハネによる福音書』では描かれています。

しかしそれほどまでの情熱にあふれたトマスであったからこそ、キリストが十字架で処刑されたという事実は、キリスト自らの身に及ぶ苦しみや絶望に留まらず、トマス自らの人生の意味を根底から覆してしまう出来事でもありました。弟子は全てをなげうってイエスに従ったはずです。その熱意や決心の堅さは、イエス・キリストが世に留まっている間にも摩擦や序列争いの原因にもなりましたが、それは人であれば誰もが抱くところの課題です。誰が弟子を責められるというのでしょうか。もはやこの時、弟子には各々の将来が全く見えません。弟子は家の戸に鍵をかけて閉じこもる他になす術を知りません。イエスを憎悪するユダヤ人への恐怖もあったでしょうが、正直に言えば、流す涙も涸れ果てたまま座り込む以外には何もできなかったのだろうと思います。虚しさが弟子の心身を蝕んでいます。そのような弟子の群れに復活したキリストは姿を現わし、「あなたがたに平和があるように」と主なる神の平安を授け、そして自らの息を吹きかけ「聖霊を受けなさい」と思いも新たにして、神の愛の力への全面的な信頼のもとで、神の愛に活かされる証しと宣教のわざへと背中を押すのです。
しかし残念なことに、鍵をかけた扉をものともせずに復活のキリストが姿を現わしたとき、ベタニアに赴くときに決死の呼びかけをしたトマスはその場に居合わせてはいませんでした。遅刻したわけでも落ち度があったわけでもありません。トマスはその場にはいなかったのです。だからなおのこと、他の弟子が「わたしたちは主を見た」と爽やかに語るほどトマスの落胆は酷くなります。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない」。追いつめられた人間の求めを端的に示す箇所です。見なければ、触れなければ、わたしたちは「信じない」。けれども本来は「見て、そして触れて」得るのは「納得」であり、キリストの愛に目覚める「信仰」とはかけ離れています。そんなトマスに、イエス・キリストは再び会いに来ます。「わたしの手を見なさい。あなたの手をわたしのわき腹に入れなさい」。トマスは自らの落胆や疑いさえもキリストの愛につつまれているのを知り、心の底から告白します。「わたしの主、わたしの神よ」。トマスの疑いは復活の確信へと転換しました。「見ないのに信じる人は、幸いである」と、イエス・キリストは聖霊の働きとともにわたしたちにも語っています。「幸い」とはキリスト自らによる祝福であり、いのちの希望が死に対して勝利するとの宣言です。だからこそわたしたちは喜びを分かち合えるのです。新型コロナウィルスという見えない不安に閉じ込められ社会に混乱が生じている今、ウィルスの感染だけでなく、世の混乱の中でさまよう方々の姿があります。十字架のキリストを通し現在の世とアフター・コロナの世を見据え、各々の家にいて「見ないで信じる者は幸い」と語る復活のキリストから大いに勇気を授かりましょう。

2020年4月10日金曜日

2020年4月12日(日) イースターメッセージ(礼拝堂での礼拝は休止となります)

「嘆きが驚きとともに喜びへ」
『ヨハネによる福音書』20章15~18節
稲山聖修牧師

今年度のイースターメッセージで聖書の物語を通して思い浮かぶのは、イエス・キリストの苦しみとは「鞭打たれ・釘打たれ」という肉体に留まるだけではなく「弟子たちの分裂」も伴っていたところにもあったのではないか、という点です。イエスが救い主としてお働きになり、孤児や寄留者(難民)、やもめといったその時代の「貧困層」、その時代には不治であった感染症や、心の病によって生活共同体から排除されていた人々と歩みをともにし、その痛みや生き辛さに癒しのわざを行う中で教えが群衆に広まる中では、弟子もまたイエス・キリストの言動に心酔し、深く頷きながらともに歩む喜びを感じていたことでしょう。仮に幾つかの失敗があり、お叱りを受けたとしても、それは必ず次に繋がる、大きな養いとなったことを誰もが実感したことでしょう。

けれどもイエス・キリストが小さなロバの背に乗ってエルサレムに入城されてからは、傷ついた人々を癒す柔和な救い主への様々な嫌がらせが行なわれ、殺害に向けた謀が練られていきます。弟子はその肌身に感じる危機感のゆえにイエスの言動への心酔や共鳴が、同時に自らの身の危険を招くものだと感じ、一人またひとりと離れていく様子を、福音書の書き手は決してごまかそうとはいたしません。

一番弟子とされたシモン・ペトロはイエス・キリストが身柄を拘束された夜、鶏が鳴く前に三度イエス・キリストを知らないと語ります。イエス・キリストがその視界に入っていながらのそのありさま。イスカリオテのユダは銀貨三十枚でイエス・キリストを祭司長や長老たちに引き渡そうとします。それでは最後までイエスとともにいたのは誰だったのかと言えば、まずは救い主の亡骸を引き取りにピラトを訪ねた「アリマタヤ出身のヨセフ」。『ヨハネによる福音書』では「イエスの弟子」とされていますが、ほぼ20年成立年代を遡る『マルコによる福音書』では「アリマタヤ出身で身分の高い議員ヨセフ」とあります。エルサレムの最高法院は祭司集団でもあるサドカイ派と、律法を研究するファリサイ派によって構成されていましたから、このヨセフがファリサイ派であったと否定はできません。またイエスのもとを訪ねたニコデモもまたファリサイ派の律法学者でした。社会的立場を賭してキリストに向き合った二人はユダヤ教のエキスパート。他の男性たちはといえば、次に官憲の手が及ぶのは自分ではないかとの恐怖の中で逃亡や潜伏を考えてばかり。弟子たちの絆は失われてしまっています。

そのような中で女性たちだけは、イエス・キリストのもとから離れようとはしませんでした。マグダラのマリアはキリストに癒された女性の一人。「週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに」墓を訪ねます。その場で墓の入り口から封入を示す石が取り除かれているのを真っ先に見て弟子のもとに知らせに行きます。ただしその行動力を見せる一方で、一人になると墓の前に佇んで涙をこぼす他ありませんでした。誰の目もないところでこぼす涙。しかも葬られたはずのイエスの身体がどこにもないという異様な状況。這うようにして墓の中を見ると、白い衣を着た若者が一人は頭のあったほうに、もう一人は足の置かれていたほうに座っています。苦悶に満ちた顔と、釘に打たれた跡の遺された足。葬られてなお傷の残る身体のあったところに座って、何をしようとしているのでしょうか。涙に濡れたその顔でマリアは呻くほかはありません。「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのかわたしには分かりません」。その後ろから別の声がします。「女性よ、なぜ泣いているのか。捜しているのは誰か」。マリアはその人を墓地の管理人と思い問いかけます。「あの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、その人を引取ります」。呼びかけられたその声に、女性は目の前の人が誰か気づきます。「マリア」。そのマリアに復活したあの人は優しく語りかけます。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と」。マリアだけの「わたしの主」から、失意と絶望に崩れ落ちている弟子をも含めての「わたしたちの主」へとキリストの証言が変わる瞬間です。喜びをともにできる仲間がマリアの証言をもとに広がろうとしています。涙で顔を濡らしながらも最後まで逃げなかった女性の証言から、いのちの光の歴史が始まります。

2020年4月6日月曜日

2020年4月10日(金) 受難日礼拝メッセージ(今年度は休止いたします)

「イスカリオテのユダ」
『マタイによる福音書』27章3~9節
稲山聖修牧師
(今年度の受難日礼拝は休止いたします。
 詳しくはこちらのページをご覧ください。)

 イスカリオテのユダ。聖書を一度も開いていない人でも、その名は世に知られています。曰く裏切者の代名詞であります。イエス・キリストの弟子の中で、あろうことか心からの親愛の情を示すはずの接吻でイエス・キリストを売り渡すという場面が実に印象深く福音書には刻まれています。親愛の情を示すわざによるところの裏切りの表現。わたしたちはこの場面を思い起しては背筋が凍る思いがいたします。
 けれども福音書の物語を丁寧にたどってまいりますとイエス・キリスト自らが悪魔、あるいはサタンという言葉で名指しをするのは、イスカリオテのユダではなくシモン・ペトロであって、その逆ではないということです。『マタイによる福音書』の場合、この描写にはどのような狙いがあるというのでしょうか。
 わたしたちが思い起こすのは、イエス・キリストを裏切ったという点では、鶏の鳴く前に三度イエスを知らないと言ったペトロも、銀貨30枚でイエスを売ったとして描かれるユダも別段大差がないというところです。イエス・キリストの最後の晩餐をともに囲み、裏切りを指摘されたのがユダであるとするのならば、三度に及ぶ否定を指摘されたのがペトロです。イエス・キリストを裏切ったという点では、ユダもペトロも大差はありません。
 それどころか注目するべきは、イエス・キリストに有罪の判決が下ったのを知って後悔し、銀貨30枚を祭司長たちや長老たちに返そうとして「わたしは罪のない人の血を売り渡し、罪を犯しました」と弟子の中でいち早くイエス・キリストが無実であることをユダは一人で権力者に訴えているところです。イスカリオテのユダは銀貨を返そうとしますが祭司長たちや長老からは相手にされません。その結果ユダは銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り「首をつって死んだ」とありますが、福音書の物語そのものにはイスカリオテのユダの自死そのものへの意味づけは何もされておりません。現代では誰もが可能性としては及びかねないわざであり、わたしたちはそれを責める立場にはおりません。むしろ自死とは「かたちを変えた他殺」でもあり得るのです。
 とはいえ、もしユダとペトロの間に違いがあるとするならば、ユダはペトロよりも、よりその時代の権力に近かったとが言えるかもしれません。ユダは祭司長と面識があり、相応のつながりもあった模様です。また『ヨハネによる福音書』によれば、イエスの足に香油を注ぐ女性マリアに対して「なぜ、この香油を300デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか」と言います。注がれた目の前の香油が300デナリオン、今でいうところの300万円はするという瞬時の見極めがなければ、このような発言はできないはずです。その意味で言えば、生前のイエス・キリストに従った12人の弟子の中で、世のしくみに通じていた人物であったと想像されます。
 もしわたしたちが今の世の中、今の時代、リアルにイスカリオテのユダに出会ったとするならば、社会の様々な組織の中で辣腕を振るえるだけの裁量を備えた頼りがいのある人物に映ったかもしれません。素朴な漁師に過ぎなかったペトロよりも、よほど弟子たちをまとめていくだけの器量に恵まれているようにも思えます。けれどもそのような人物の最期は、銀貨を返却しに訪ねた祭司長や長老から「我々の知ったことではない。お前の問題だ」と捨てられていくという惨めなものでした。返却した銀貨も「これは血の代金だから、神殿の収入にするわけにはいかない」と受けとられませんでした。
イエス・キリストを欺いて殺害するという組織の最末端で、ユダは実質的な実行犯となってしまいました。この一連の物語の中では、大きな力をもった組織の中では、個人の良心に則して行動できない人々の痛みや病が描かれているようには思えないでしょうか。ペトロの涙はイエス・キリストの聞き及ぶところになりましたが、イスカリオテのユダの嘆きは師としてのイエスにはあずかり知らないところにありました。だからこそ、イエス・キリストはイスカリオテのユダの悲しみや孤独、偽りを全て見抜いた上で担ってくださったように思います。「神の求めるいけには打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を、神よ、あなたは侮られません」(『詩編』51編)。末端の者の苦しみ、「しっぽ切り」に遭った者。その人は決して孤独ではありません。キリストの十字架の苦しみも同じように、社会から排除される者の苦しみと絶望を示しているからです。あなたは一人ではないのです。

2020年4月5日日曜日

2020年4月5日(日) 説教

「キリストだけが知っている正しさ」
『ヨハネによる福音書』18章33~38節
説教:稲山聖修牧師



 ピラトという男。イエス・キリストとの出会いのゆえに、その後2,000年にわたりその名が語り継がれるとは思ってもみなかったことだろう。ピラトはローマ帝国の総督だった。総督とはローマ皇帝から派遣された代官として占領地を統括する立場にある。その地にあっては争いを起こさず、ローマ帝国の支配と威光を伝えて統治するのがその役目。しかし同時に一旦その地に騒乱あれば、軍を動員して治安維持にあたらなくてはならない。その地の平定こそが「ローマの平和」、つまりローマ皇帝の威光を現わしているからだ。総督とはその意味で重責を伴う働きであり、統治に不首尾が生じれば皇帝からの左遷などの処分もあり得た。だからピラトからすれば、任期中には人々にはなるべく要らぬ争いを起こしてほしくないのが本音であったことだろう。

 その中で起きたのがナザレのイエスをめぐる騒動だ。しかしそうは言うものの、人々はイエスの身柄拘束には決して責任をもって関わろうとはしない。本日の箇所の前に「人々は、イエスをカイアファのところから総督官邸に連れて行った。明け方であった。しかし、彼らは自分では官邸に入らなかった。汚れないで過越の食事をするためである」。イエスを訴えた人々はその言葉にも行いにも『律法(トーラー)』への違反を見出せなかった。そのためか可能な限り責任を回避しようとする。「汚れないで過越の食事をする」。イエス・キリストへの憎悪の念を滾らせながらも自分は汚れたくないという、腰の引けたあり方が記された後に、ポンテオ・ピラトとイエス・キリストとの対話が記される。ピラトは実に厄介な問題を駆け込んだと頭を抱え込んだだろうが、それでも他の人々に優る権限が許されている。それは「総督」という立場のゆえにである。ローマ帝国の皇帝の代官という立場が、ピラトの砦である。


このゆえに今朝の箇所は、皇帝の代官と、人々から奴隷のようにあしらわれた主のしもべが「尋問」という仕方であったにせよ肩書を問うことなしに対話することとなる。「お前はユダヤ人の王なのか」とピラトが問えばイエスは「それは自分の考えで問うのか、それともほかの者がわたしについて、あなたにそう言ったのか」とピラト自身の言葉への向き合い方を問い質す。このやりとりの中で、ピラト自らイエスの身柄拘束の責任のありかをイエスに白状せずにはおれなくなる。「お前の同胞や祭司長たちが、お前をわたしに引渡したのだ。いったい何をしたのか」。責任を担おうとはしない人々の姿がそこにはある。その中で、イエス・キリストはあらためてピラトに救い主のありようをお示しになる。「もし、わたしの国がこの世に属していれば、わたしがユダヤ人に引渡されないように、部下が戦ったことだろう。しかし、実際、わたしの国はこの世に属してはいない」。さらなるピラトの問いには「わたしが王だとは、あなたが行っていることだ。わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く」。ピラトは言った。「真理とは何か」。ここでピラトとキリストとの対話には一旦幕が降ろされる。そしてこの「真理とは何か」という問いかけに、救い主を前にしたポンテオ・ピラトの敗北をわたしたちは看て取る。

「真理とは何か」。「正しさとは何か」。わたしたちは何らかの事柄を話題にする場合、それがたとえいのちに関わる場合であったとしても、真理そのもの、正しさそのものを語るのは不可能だ。できることがあるとすれば、正しさとはいったいどのようなものであるのかと問い続けるよりほかにない。わたしたちは言葉ですべてを言い表すことはできない。言葉が上滑りして説得力をもたなかったり、相互理解を目指すつもりが溝を一層深めてしまう場合もある。事の正しさもまた、厳密には多数決でも決められない。多数決でいのちの重さが量られるならば司法制度は要らない。結局のところピラトも「真理の重さ」に耐えかねて、イエス・キリストを訴え出た群衆に媚びるような振る舞いに及ぶ。その振る舞いで誰がもてあそばれているのは「神の正しさ」を知り抜いた救い主・イエス・キリストであった。「真理とは何か」という問いにイエス・キリストは黙った。まことの正しさとは、その人を信頼して語りかけるところにしか見いだせない。キリストから発せられる沈黙の態度を、今の世の中で受けとめたい。今この時にキリストに従うとは、饒舌に賑わうというよりも、沈黙を尊ぶところにある。